世界のリーディングホテル VOL50 ザ・ウォルドル...

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2013.6.28 14 筆者 小原康裕 ホテルジャーナリスト。 慶応義塾大学法学部法律学科卒。74年 Munich Re入社。85年築地原健㈱代表 取締役。2001年投資顧問会社原健設立、 代表取締役CEO。JHRCA、日本ホテル レストランコンサルタント協会理事。 ※現在、著者のホームページで「世界のリ ーディングホテル」を連載中。多くの美し い写真と興味深いコメントで、世界中の ホテルとそれら関連都市を紹介。 www.jhrca.com/worldhotel ザ・ウォルドルフ‐アストリア &タワーズ The Waldorf-Astoria & Towers 世界にはまだまだ日本人が訪れていないホテルがある。このコーナー ではホテリエが知っておくべき「世界のリーディングホテル」を紹介する。 これまで多くのホテル紹介本が出版されてきたが、そのほとんどが現地 のホテルと事前に取材の連絡を取り合い、プロのカメラマンや通訳、そ のほか大勢を連れ立っての大名取材であり、宿泊は省略といったことも 多々であった。本連載では、著者自身が長年にわたる個人旅行中に自 分の目で感じ取り、コメントを書き込み、自分のカメラで思いのままを 撮ってきた写真を掲載する。 ※本連載は毎月2・4週号掲載 世界のリーディングホテル VOL50 ミッドタウン49-50丁目の1ブロックを占める「The Waldorf-Astoria」のパークアベニュー側正面エントランス 豪華なシャンデリアが煌めくエントランスホール 壮麗なアールデコのレリーフが飾られたグランドロビー中央に、 旧ホテルの時代から使用されている「グレート・クロック」が鎮座する パークアベニューから俯瞰した「The Waldorf-Astoria & Towers」の全景。 47階建て1000室を優に超える巨大ホテルだ アーケードにあるウォルドルフ‐アストリアのショップ。 2つのホテルが合併した当時の写真が掲げられている ヒルトンの創始者コンラッド・ヒルトンと 息子バロン・ヒルトン 2013.6.28 15 ホテル創建当初は、現在のエンパイア・ステート ビルディングの場所に建っていたと聞くと驚かれ るであろう。当時、この5番街34丁目辺りがニュー ヨークの中心であり、世界屈指の大富豪アスター 一族の広大な屋敷があった場所だ。 “ウォルドルフ” とは、このホテルを建設したアスター家の初代J・ ジェイコブ・アスターの出身地、ドイツのWalldorf (ヴァルドルフ)に由来する。NY社交界の華であ ったレディー・アスターと不仲であった甥のW・ウ ォルドルフ・アスターは、1893年に彼女の屋敷隣 に13階建ての「ウォルドルフ・ホテル」を建てた。 屋敷は高層ホテルの日陰になってしまい、彼女は アッパー・イーストサイドに転居してしまう。その跡 地に息子のJ・ジェイコブ・アスター4世(本誌Vol23、 St.Regis参照)が97年に17階建ての「アストリア・ ホテル」を建設し、経営をフィラデルフィアの実業 家、ジョージ・ボルトに任せる。後にボルトの勧め で、二つのホテルを一体化してNY最大級のホテル が出現する事になった。ここに「ウォルドルフ‐ア ストリア・ホテル」 (以下WAH)が誕生した訳である。 時は移り、この地に世界最高層のビル建設の話 が進み、デュポン家を始めとしたNYの実業家の出 資により、1931年にエンパイア・ステートビルディ ングが完成。一方、WAHは現在のパークアベニ ューに移転し、同31年に華々しく再オープンした。 47階建て1000室を優に超える巨大ホテルで、パー クアベニューの49-50丁目の1ブロックを占め、そ れ故に本館とタワーの住所が違っているくらいだ。 建物の随所に当時最先端の美しいアールデコ様式 の装飾が取り入られ、エンパイア・ステートビルデ ィングと共にアールデコの宝庫として名高い。壮 麗なアールデコのレリーフが飾られたグランドロ ビー中央に有名な「グレート・クロック」が鎮座して いる。初代大統領ワシントンなど歴史的人物の肖 像が彫られた重厚な置時計でWAHの見所の1つで もある。 華やかな賑わいの“ホテル”に対して、来訪者の チェックが厳しくやや閉鎖的なのが“タワー”であ る。WAHの28階から42階までを占め、ホテルと は異なった独自のコンセプトのもとに運営されて いる。50丁目に面した通りから入るタワーは専用 のエントランスが設けられ、VIPの安全とプライバ シーを厳格に守っている。それ故、フーバー大統 領やマッカーサー元帥など多くの著名人が自邸と して使用していた。 WAHは経済・文化人の香りがする「ザ・プラザ」 などに対して、どちらかと言うと国家・政治家の雰 囲気が漂うホテルだ。事実、多くの国家元首が利 用していて、日本の昭和天皇がお泊りになられた のを始め小泉首相も滞在している。かねてから WAHの買収を夢見ていたヒルトンの創始者、コン ラッド・ヒルトンは1949年に念願の経営権を手に 入 れ た 。そ の 後 、ヒ ルトン・グル ー プ は 7 2 年 に WAHの買収を完了させ、2005年からヒルトンの最 上級ブランドとして「ウォルドルフ・アストリア・コレ クション」を新設している。 「グレート・クロック」が置かれたグランドロビーに ある「Peacock Alley Restaurant」 正面エントランスの壁面に彫られたアールデコの 華麗なレリーフ “ホテル”側の巨大なカウンターに比べて小規模だが 厳格な“タワー”側のレセプションデスク ミッドタウン50丁目側にある「The Waldorf Towers」 の専用エントランス 「The Waldorf Towers」側にあるスイートのベッドルーム。「1 King Waldorf Accommodation」カテゴリー のスイートルームで、リビングと合わせて約80㎡の広さがある “ウェット・バー”のシンクを備えた快適なリビングルーム 玄関ホワイエから 俯瞰するベッドルーム

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Page 1: 世界のリーディングホテル VOL50 ザ・ウォルドル …ohtapub.co.jp/wlh200/WLH050.pdfThe Waldorf-Astoria & Towers 世界にはまだまだ日本人が訪れていないホテルがある。このコーナー

― 2013.6.28 ―14

筆者 小原康裕ホテルジャーナリスト。慶応義塾大学法学部法律学科卒。74年Munich Re入社。85年築地原健㈱代表取締役。2001年投資顧問会社原健設立、代表取締役CEO。JHRCA、日本ホテルレストランコンサルタント協会理事。※現在、著者のホームページで「世界のリーディングホテル」を連載中。多くの美しい写真と興味深いコメントで、世界中のホテルとそれら関連都市を紹介。www.jhrca.com/worldhotel

ザ・ウォルドルフ‐アストリア&タワーズThe Waldorf-Astoria& Towers世界にはまだまだ日本人が訪れていないホテルがある。このコーナーではホテリエが知っておくべき「世界のリーディングホテル」を紹介する。これまで多くのホテル紹介本が出版されてきたが、そのほとんどが現地のホテルと事前に取材の連絡を取り合い、プロのカメラマンや通訳、そのほか大勢を連れ立っての大名取材であり、宿泊は省略といったことも多々であった。本連載では、著者自身が長年にわたる個人旅行中に自分の目で感じ取り、コメントを書き込み、自分のカメラで思いのままを撮ってきた写真を掲載する。 ※本連載は毎月2・4週号掲載

世界のリーディングホテル VOL50

ミッドタウン49-50丁目の1ブロックを占める「The Waldorf-Astoria」のパークアベニュー側正面エントランス

豪華なシャンデリアが煌めくエントランスホール

壮麗なアールデコのレリーフが飾られたグランドロビー中央に、旧ホテルの時代から使用されている「グレート・クロック」が鎮座する

パークアベニューから俯瞰した「The Waldorf-Astoria & Towers」の全景。47階建て1000室を優に超える巨大ホテルだ

アーケードにあるウォルドルフ‐アストリアのショップ。2つのホテルが合併した当時の写真が掲げられている

ヒルトンの創始者コンラッド・ヒルトンと息子バロン・ヒルトン

― 2013.6.28 ― 15

ホテル創建当初は、現在のエンパイア・ステートビルディングの場所に建っていたと聞くと驚かれるであろう。当時、この5番街34丁目辺りがニューヨークの中心であり、世界屈指の大富豪アスター一族の広大な屋敷があった場所だ。“ウォルドルフ”とは、このホテルを建設したアスター家の初代J・ジェイコブ・アスターの出身地、ドイツのWalldorf(ヴァルドルフ)に由来する。NY社交界の華であったレディー・アスターと不仲であった甥のW・ウォルドルフ・アスターは、1893年に彼女の屋敷隣に13階建ての「ウォルドルフ・ホテル」を建てた。屋敷は高層ホテルの日陰になってしまい、彼女はアッパー・イーストサイドに転居してしまう。その跡地に息子のJ・ジェイコブ・アスター4世(本誌Vol23、St.Regis参照)が97年に17階建ての「アストリア・ホテル」を建設し、経営をフィラデルフィアの実業家、ジョージ・ボルトに任せる。後にボルトの勧めで、二つのホテルを一体化してNY最大級のホテルが出現する事になった。ここに「ウォルドルフ‐アストリア・ホテル」(以下WAH)が誕生した訳である。時は移り、この地に世界最高層のビル建設の話

が進み、デュポン家を始めとしたNYの実業家の出資により、1931年にエンパイア・ステートビルディングが完成。一方、WAHは現在のパークアベニューに移転し、同31年に華々しく再オープンした。47階建て1000室を優に超える巨大ホテルで、パークアベニューの49-50丁目の1ブロックを占め、それ故に本館とタワーの住所が違っているくらいだ。建物の随所に当時最先端の美しいアールデコ様式の装飾が取り入られ、エンパイア・ステートビルディングと共にアールデコの宝庫として名高い。壮麗なアールデコのレリーフが飾られたグランドロビー中央に有名な「グレート・クロック」が鎮座している。初代大統領ワシントンなど歴史的人物の肖像が彫られた重厚な置時計でWAHの見所の1つでもある。華やかな賑わいの“ホテル”に対して、来訪者の

チェックが厳しくやや閉鎖的なのが“タワー”である。WAHの28階から42階までを占め、ホテルとは異なった独自のコンセプトのもとに運営されている。50丁目に面した通りから入るタワーは専用のエントランスが設けられ、VIPの安全とプライバシーを厳格に守っている。それ故、フーバー大統領やマッカーサー元帥など多くの著名人が自邸として使用していた。WAHは経済・文化人の香りがする「ザ・プラザ」

などに対して、どちらかと言うと国家・政治家の雰囲気が漂うホテルだ。事実、多くの国家元首が利用していて、日本の昭和天皇がお泊りになられたのを始め小泉首相も滞在している。かねてからWAHの買収を夢見ていたヒルトンの創始者、コンラッド・ヒルトンは1949年に念願の経営権を手に入れた。その後、ヒルトン・グループは72年にWAHの買収を完了させ、2005年からヒルトンの最上級ブランドとして「ウォルドルフ・アストリア・コレクション」を新設している。

「グレート・クロック」が置かれたグランドロビーにある「Peacock Alley Restaurant」

正面エントランスの壁面に彫られたアールデコの華麗なレリーフ

“ホテル”側の巨大なカウンターに比べて小規模だが厳格な“タワー”側のレセプションデスク

ミッドタウン50丁目側にある「The Waldorf Towers」の専用エントランス

「The Waldorf Towers」側にあるスイートのベッドルーム。「1 King Waldorf Accommodation」カテゴリーのスイートルームで、リビングと合わせて約80㎡の広さがある

“ウェット・バー”のシンクを備えた快適なリビングルーム

玄関ホワイエから俯瞰するベッドルーム