GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier...

11
- 5 - Gardening における Fruit Garden と わい性台木利用果樹の人工形整枝 小池洋男(前長野県果樹試験場長) 果樹の Gardening での利用の歴史は古い。リンゴなどのわい性台木類の 利用や人工形整枝などが庭園果樹としての利用から発展した経過は、アマ チュアを含めた園芸関係者に深い興味を抱かせる。 果樹の人工形整枝と Fruit Garden 一般的に、果樹の樹形は自然形と人工形に分けられる。自然形は、強 固な永久支柱、トレリス、棚、壁などの支えを用いない整枝法である。 この方法で整枝された樹体は、ベ-ス、ブッシュ、ピラミッド、カラム などの3次元の立体形を呈する。一方、壁に沿わせた格子や柵などに誘 引して整枝された樹体は、Espalier PalmettCordon などを含む)に代表さ れる樹形となるが、壁や垣根状に沿って整枝するため平面的で 2 次元の 樹姿となる。Espalier 整枝には、T 形、コルドン、扇形などの平面的な樹 形が含まれるが、今日の Gardening においても果樹を狭い庭園で楽しむた めの最良の整枝法であり、種々の工夫によって多様な形が楽しめる利点 がある。 Tukey 1970)によれば、リンゴなどのわい性果樹類はドイツ、フランス、 オランダ、ベルギー、スイスにおいて Cordon Espalier といった特殊な 樹形に整枝された。Gibault によれば、Espalier という言葉には二つの語源 があるという。イタリア語の Spalliera (イスの背もたれのようにという意 味と敵から護るための土のうという意味)と、フランス語の PauAspau (支

Transcript of GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier...

Page 1: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 5 -

GardeningにおけるFruit Garden とわい性台木利用果樹の人工形整枝

小池洋男(前長野県果樹試験場長)

 果樹のGardeningでの利用の歴史は古い。リンゴなどのわい性台木類の利用や人工形整枝などが庭園果樹としての利用から発展した経過は、アマチュアを含めた園芸関係者に深い興味を抱かせる。

果樹の人工形整枝とFruit Garden 一般的に、果樹の樹形は自然形と人工形に分けられる。自然形は、強固な永久支柱、トレリス、棚、壁などの支えを用いない整枝法である。この方法で整枝された樹体は、ベ-ス、ブッシュ、ピラミッド、カラムなどの3次元の立体形を呈する。一方、壁に沿わせた格子や柵などに誘引して整枝された樹体は、Espalier(Palmett、Cordonなどを含む)に代表される樹形となるが、壁や垣根状に沿って整枝するため平面的で 2次元の樹姿となる。Espalier整枝には、T形、コルドン、扇形などの平面的な樹形が含まれるが、今日のGardeningにおいても果樹を狭い庭園で楽しむための最良の整枝法であり、種々の工夫によって多様な形が楽しめる利点がある。 Tukey (1970)によれば、リンゴなどのわい性果樹類はドイツ、フランス、オランダ、ベルギー、スイスにおいてCordonや Espalierといった特殊な樹形に整枝された。Gibaultによれば、Espalierという言葉には二つの語源があるという。イタリア語の Spalliera(イスの背もたれのようにという意味と敵から護るための土のうという意味)と、フランス語の Pau、Aspau (支

Page 2: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 6 -

え、支柱)から由来しているという。Espalier整枝は中世の幾何学模様庭園で利用が始まった。その時期の庭園は壁で囲まれていて多くの果樹を自由に育てる余裕の空間が無かった。そこで、壁や棚に沿って育てることによって限られた空間を利用して庭園に果樹を調和させるために工夫された整枝法と考えられる。 これらの樹形はベルサイユ宮の庭園などで今日も見ることが出来る。ベルサイユ宮殿に隣接して、17世紀にルイ 16世の庭園技師 La Quintinye

がデザインした庭園がある。この庭園は La Quintinye庭園とも呼ばれる。勿論、王のための野菜や果物の生産を目的とした Jardin du Roi (国王の庭園)と呼ばれるKitchen Garden ではあるが、果樹は庭園の中で重要な役割を果たしている。わい性の果樹類が特殊な整枝法によって育てられていることが特徴である。ベルサイユには、Ecole National d'Horticulture(国立園芸専門学校)が設置されており、その管理下で庭園はオリジナルデザインの樹形が維持されている。その中には、いくつかの古い時代の Espaliers

形 やContre-(意外な)Espaliers形など、庭園にわい性果樹を取り込むための多様な整枝法を見ることが出来る。庭園全体は長さが 1090フィート、幅が 865フィートで、中心部は 450x 600 フィートである。庭園の周囲はテラスで覆われ、その下には貯蔵室があって鉢植えなどの弱い植物は冬期間ここで保存される。ベルサイユ宮の庭園はイチゴの庭園、四方から太陽光線の入る対角線の庭園、果樹や野菜で覆われた低い壁で取り囲まれた12の小庭園、アスパラガスの庭園、Espalier整枝のプラム庭園、イチジク庭園、 キュウリとサラダ野菜の小庭、メロンと他野菜の小庭、ハーブと野菜がはびこる公用門、ポット植えイチジクの庭、ポット植のイチジクの温室、王の部屋、Court house、庭園技師の家と裏庭、花の小庭、高樹高の西洋ナシで縁取られた入り口、中央 courtテラス、主広場、根菜・アーチーチョーク・キャベツ・花などが冬期間貯蔵できる貯蔵庫、Espaliers整枝の桃で覆われた主庭園、ブドウで覆われた主庭園のテラスなどで成り立ち、庭園の北は西洋ナシの木、主広場も早生から晩生の西洋ナシが植えられている。その他、リンゴ、オウトウ、アンズ、各種の桃などの Espalier整

Page 3: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 7 -

枝樹が植えられている。 また Tukey (1970)によると、Espalierという言葉は 16世紀のフランスの自然科学者 Pierre Belon が庭園の散策路の両側の垣根を Espalierと表現したことに始まるという。イタリア人は垣根を Spalieres と呼び、我々はこれを支えまたは Espalierと呼ぶと記載している。同時期にCharles Estinne

は、オレンジの栽培で木を Espalier に整枝してと記載している。このように、Espalierという言葉は棚の意味に限定され、曲げられ、壁状に形づけられ、庭園を飾るデザインに用いられたという。15世紀のフランス・フランド-ルの学校の壁掛け絵に 4本の白布の束の棚に支えられて水平に仕立てられたブドウの様子が描かれているという。また、ドイツの庭園では 1561年にイチジク、スグリ、ジャスミンなどの植物が壁際で良く育つことを薦めているという。1539~1619年に活躍したOlivier de Serres は、囲まれた壁状で支柱に支えられた果樹を記載している。ヘンリー 3世と 4

世のGardens of Fontainebleau の庭園技師であるClaude Mollet も Espalier 整枝技法を始めて記載した庭園技師である。17世紀当初の書物(Theatre des

plans et jardinages)に南面の壁に沿った枠にアンズとモモを Espalier整枝とする方法を記載している。また、1638年にはルイ 13世のお抱え庭園技師である Jacques de Barauderie によって Traits du jardinageが出版された。この書は Espalier整枝で Fan Espalier(扇形)の技法、モモ、アンズ、アーモンド、スモモ、ナシなどの Espalier法も記載している。霜の時期に花を凍害から護る方法として壁状の木を布で覆う方法なども記載している。 17世紀の中期には、Espalier整枝が庭園装飾の中心となった。牧師や教職者がこの形の果樹栽培に熱中して多くの書物が記載され、その中に1651年に著されたNicolas de Bonnefons による Jardinier francsaisがある。1652年には Le Gendre が La Maniere de cultiver les arbres fruitiersを出版し、1653年には Triguel が Instruction pour les jardins fruitiesを出版した。また、フランスには庭園果樹の整枝について著書を記載した 2名の重要人物がいる。La Quantiye (1690)とDuhamel du Monceau (1768)である。このように、果樹の人工形整枝法は貴族社会のGardening において発展した。

Page 4: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 8 -

Gardening での果樹利用から生まれたリンゴのわい性台木とSir Donard Hatton

 英国ケント州のHorticultural Research InternationalはEast Malling Research

Station が改組改名した研究機関である。当研究所のリンゴや西洋ナシのわい性台木の開発や特性解明に関する研究は、近代果樹産業の発展に貢献した不滅の成果として評価される。しかしながら、わい性台木利用の歴史はGardeningに果樹を取り込むための苦労を重ねた先人(園芸技師)達の業績から始まっていることを避けては語れない。 

 紀元前 3世紀、ギリシャ早期の歴史家 Theophrastusは、アレキサンダー大王の遠征でギリシャに持ち帰られた植物を研究し、その中のわい性のリンゴを記載している。ローマ時代にも農学者はわい性果樹を庭園に植えて楽しんだという。その後欧州では、小型樹の利用が落葉果樹に集中して観賞用や果実生産用に利用された。どの場合も、わい性樹の栽培はわい性台木に依存していた。17~ 18世紀の書物には、ParadiseやCreeper apple tree

という名称が出現する。Paradiseはペルシャ語の Pairidaeza(公園や庭園を意味する)に由来するとされている。最初にわい性台木として利用されたのは 15世紀の終わりとされ、ルイ 16世の庭園技師 La Quantinye(1626~1688)はベルサイユ宮の庭園でリンゴと西洋ナシにわい性台木を用いた。また、Duhamel du Monceau は彼の著書 raites des arbres fruitier でわい性台木として Le pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin

という言葉は、フランス語の甘いを意味する douceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果オウトウ台木に接ぎ木されたが、わい性台木の利用はリンゴと西洋ナシに限られた。  わい性果樹の利用の歴史は古いが、Tukey(1970)によれば、近代的果樹生産においては 1830~ 1840年代に果樹栽培、台木利用、わい化、ほ品種と台木の関係などに関心が高まった。その当時、リンゴについて 2種の台木系統が認められていた。それらは、Paradise (わい化効果が高い)とDousin(わい化効果が低い)と呼ばれた。Thomas Riverは 1863年に Paradise

Page 5: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 9 -

台木の起源をMiniature Fruit garden という本の中で記載している。当時、リンゴと西洋ナシのわい性台木がフランス、ドイツ、オランダ、英国などで流通するにつれて混乱が生じた。それらは ParadiseかDoucinか区分けがつかなくなったのである。ドイツやオランダの苗木商などによる特性解明や記載を目指した試みが取り組まれた。1912年には、イギリス East

Malling 研究所のWellington によってわい性台木の研究が始まり、後継のSir Donard Hattonは、わい性台木をイギリスと欧州大陸を中心に世界中から集めて East Malling に持ち帰って、それらを 16系統に区分して命名した。それらは、Malling系統、East Malling系統、EM系統、さらにM系統台木と呼び方が変わって利用されている。これらの整理されたわい性台木は、庭園や公園で観賞用樹の台木として使用されるのみならず、世界中の果樹栽培地域で密植栽培用の台木として使用されている。とくに、1879年にフランスで偶発実生として選抜されて Jaune de Metz、Yellow Metz、Yellow

Paradise of Metz、Dieudonne などの名称で呼ばれ、後に Sir Donard Hatton

によってEMⅨ(その後M.9)と命名されたわい性台木は、近年になって世界のリンゴ密植栽培での利用率が 80%を占める主要台木として利用されている。

英国Hatton Garden に見るFruit Garden と果樹の人工形整枝コレクション 英国のケント州 East Malling地区にある研究所Horticulture Research

International に隣接してBradbourne House がある。そこには、The Hatton

Garden と呼ばれる庭園があり、果樹を庭園で楽しむための人工形整枝法のコレクションを驚くほど完璧に維持している。 庭園の名称は、リンゴのわい性台木の選抜、特性検定、命名を行った Sir Ronald Hatton に因んで命名されている。Sir Ronald Hatton は、East

Malling 研究所の所長で、フランスのルイ 16世の時代に建造されたベルサイユ宮殿のGardin du Roi(国王の庭園)に用いられている果樹の人工形整枝法を残すべく 1938年にBroubourne 邸の庭に果樹を植えて種々の整枝の保存展示に取り組んだ。彼は、忘れかけている果樹の伝統的な整枝法の復活

Page 6: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 10 -

と維持を目指して、壁に囲まれた1エーカーの庭園に伝統的な整枝法のリンゴを育てた。 多くのオリジナルの整枝樹が現在も保存されているが、最近はHorticultural Research Internationalの研究者によって一部の新植や改植などが行われている。筆者は、数年前にHorticultural Research InternationalにDr. Tonny Webster (リンゴの研究者)を訪ねた。研究所訪問の主要目的は、リンゴのわい性台木の育種や実用化研究、果樹の整枝法、有機農法、リンゴ染色体地図作製プログラムの作成研究などの成果を視察することであっが、視察の最後に案内して頂いたBradbourne House の The Hatton Garden

で出会った人工形樹形が強烈な印象として脳裡に焼き付いている。 Broubourne邸はチュ-ドル王朝時代に建造された建物で、大理石のホ-ル、ジェ-ムス王朝期の天井、樫や胡桃材の階段、水彩画や油絵などのコレクションが多い。そして、The Hatton Gardenには種々の人工形整枝樹が育てられており、Fruit Garden またはKitchen Garden として古くから庭園で果樹を楽しむための庭園技師の古き伝統を知ることのみならず、アマチュアが庭で果樹を楽しむための整枝法を学ぶに最も参考になる場所の一つと言える。 リンゴ樹は、Goblets(ワイングラス形)、Pyramids(ピラミッド形) Fans(扇型) Cordons(コルドン形)、Espalieres(エスパリエ-形)、Arches(ア-チ形)、Crowns(王冠形)、Bateaus(舟形)、Arcure (星形)などに整枝されて展示されている。The Hatton Garden の一般公開は、春と秋の2回に限られるというが一見の価値の高い庭園である。

英国庭園様式の変化とFruit Garden Britain express.com の英国庭園の歴史によれば、初期の英国庭園はロ-マの征服者によって紀元前1世紀ころに打ち立てられたと考えられるという。ロ-マ式庭園は Sussexにある Fishbourn Roman Palace などに例が見られるという。均整のとれた砂利の小道で区分けされた低い箱状の生け垣や垣根に作られた小さな窪みに飾られた彫像、壺、椅子などが特徴という。

Page 7: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 11 -

幾何学的模様の庭、緑の景観スペース、小さなKitchin Garden (Fruit garden

を含む)が設けられており、果樹や野菜の植えられていることが一般的という。 Anglo-saxonの庭園については多くが未知で、庭園を重用視していなかったと言うことも出来るかもしれないとも言及がなされている。英国では、中世になって庭園が重要視されるようになり、修道院は食糧確保や薬の確保のためにKitchen garden やHerb garden を備えるようになったという。修道院の回廊は屋根のついた壁で囲まれた緑地空間を持ち、井戸や泉をその中心に備えた。城は、時として小さな中世的な庭を持ち、城の中庭は城の壁上から外の景色が望めるような高い盛り土や芝のスペースのあることが一般的であるという。英国庭園の時代別の一見した特徴は、Roman Britain

(ロ-マ時代)が幾何学模様と低い生け垣、Medieval (中世時代)が芝や盛り土で取り囲まれた小さな庭園、Tudor (チューダー王朝時代)が盛土の垣根や壁で囲まれた庭園、Stuart(スチワ-ト王家時代)が幾何学模様のイタリアやフランス様式、Georgian(ジョ-ジ王朝時代)が風景様式やオープン公園、Victorian(ビクトリア王朝時代)が植物花壇、カラフルな大衆庭園、20世紀が混合した様式と草本の利用であるという。 中世後期に城が領地を築くことを諦めたように、庭園は垣根や壁で囲まれた単純な緑の空間に変化してテニスのような球技が芝の上で楽しまれたという。宗教改革の後に英国庭園に変化が生じ、多くの土地所有者は鹿や牛を飼育するために土地を取り囲んだという。依然として生け垣や壁で外界と遮断された状態ではあったが、この自然景観が幾何学模様の庭園に変化を与えた。 チューダー王朝時代は、中世時代には消えつつあったイタリア式の家と直線の調和を反映した庭園作りが継続した。ロ-マ人の残した日時計や彫像などが再度庭園装飾として人気となった。チューダー王朝期の庭園作りの目立った貢献はKnot gardenであるという。チューダー王朝時代の庭園様式を残す例はHaddon Hall (Derbyshire)、Montacute House(Somerset)、 Hampton Court Palace (London近郊)などであるという。

Page 8: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 12 -

スチュワ-ト王朝時代の庭は幾何学模様のフランス様式の虜と言われる。このフランス様式の特徴は、建物から広がる広い通り道、側面に配置された長方形のパルテ-ル(幾何学的にレイアウトされた花壇)である。このスタイルの庭園は、Blickling Hall (Norfolk)、Melbourne (Derbyshire)などであるという。フランス様式から分派した庭園はオランダ様式の庭園であり、多くの水、球根の花、樽に植えられた樹木、topiary (装飾的に刈り込んだ垣根)などを多く取り入れた様式で、Westbury Court (Gloucestershire) が典型の例であるという。 18世紀になるとルネッサンス形式から自然形への変化が認められるという。線は直線でなく、生け垣は草に置き換えられ。樹木は列でなく塊状に植えられており、初期の長方形の池は丸く変えられ、開けた状態で外界と家が結合した公園のようになったという。この自然様式は、庭園技師Kent

と弟子のCapability Brownによって Landscape garden (風景庭園)として英国庭園の方向付けに多大に影響したという。風景庭園は、英国の田舎の家とそれを取り巻く野原や田園の一体化したものであるという。取り去ってしまったものは、生け垣、壁、花壇、小道などで、この様式の庭園はLongleat (Wiltshire)、Burghley,、Petworth,、Blenheim Palace (Oxon)などであるという。 ビクトリア王朝時代には、庭園様式が大きく変化し、花壇の増加、温室で育てた花の花壇への植え付け、外来の花色、複雑なデザインなどが取りれられた。この時期に影響を示した庭園技師は J.C.Loundonと Joseph

Paxtonである。典型例はChatsworth House に見られる。また、ビクトリア王朝時代には、大衆のための公園や人々の集まる緑地の造成が特徴であり、その例は People's part in Halifaxに見られるという。ビクトリア後期になるとWilliam Robinsonによって提唱された幾何学模様と自然・野生の混在する庭園も出現する。その典型は Sissinghurst Castle (Kent)やHidcote

(Gloucestershire)であるという。 20世紀には、女性庭園技師のGertrude Jekyll が草本を用いた境界や多様な色彩による庭園を企画した。これはCottage (背の低い茅葺き屋根の石造

Page 9: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 13 -

りの家)gardenの伝統を生み出したとされる。空間に植える豊富な花々、棚、柵、壁などを這い登る植物類などが特徴である。Jekyllの視点は、家に庭は必須のもので、建物の出来た後に庭を思いつきで造成するものではないという。この様式は、Marsh Court (Hampshire)とHestercombe (Somerset)に見られるという。このようにGardeningは世情や時代の変化に伴って過去の伝統的手法も発展的に変化し、その意味で英国には歴史的な庭園が少ないと言えるが、各種の多様な庭園があり、それは個々に異なる個性を持った英国人が緑を育てる空間を持つという熱意によって支えられているとの論評がなされている(Britain Express com. a short story of English garden)。 以上、欧州のGardeningに見られる Fruit garden とリンゴを中心としたわい性台木の利用・開発の歴史的経過、Fruit Garden における人工形整枝の利用、英国庭園での Fruit Gardenの利用などについて、外国の論評紹介を主にして記述させていただいた。 英国のThe Hatton Garden やフランスのベルサイユ宮殿に隣接する Jardin

du Roi などの Fruit gardenに見られる果樹類の整枝法は、近代的Gardening

においても利用価値の大きいことを記して結びとさせていただく。

参考文献English Gardens. a short histry. www.briatinexpress.com. 2004.

Fishman. R. The Handbook for Fruit Explores. North American Fruit Explorers,

Inc. 1986.

Morgan.J.and A.Richards. The Book of Apples. The Brogdale Horticultural Trust.

1993.

Quinlan. C. Fruit Collection Open to The Public. www.hri.ac.uk.

Tukey, H.B. Dwarfed Fruit Trees. The Macmillan Company. 1970.

2004 Bulliteen Art & Garden. Espaliers, pleaching, cordons, standards, weepings,

and dwarf trees. www.baag.com.au 2004.

Page 10: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 14 -

Hiroo Koike: Fruit Gardens and Artifical Tree Training for Trees on

Dwarfing Rootstocks in Gardening.

 Summery

Planting of fruit trees in Gardening begun by the usage of dwarfing rootstocks

and artificial tree training methods like Espalier. Traditional artificial tree training

methods and fruit gardens are represented by the Jardin du Roi in Versailles. Sir

Donard Hatton selected and named the dwarf rootstocks for apples and pears at

the East Malling Research Station. He built the Hatton Garden in Bradbourne

house nearby the East Malling Rsearch Station to keep alive the traditional forms

of fruit trees trained artificially. On a way developing the styles of gardening in

England, the fruit garden has been adopted.

図1 欧州における中世のお城の庭園(フランス・ロワール地方)幾何学模様の低い生け垣が典型。Kitchen Garden (Fruit Garden)が含まれる。壁に沿ったEspalier仕立ての果樹類など。

Page 11: GardeningにおけるFruit Garden と わい性台木利用果樹の人工 ......としてLe pommier nain des Paradis とDousin を記載している。このDousin という言葉は、フランス語の甘いを意味するdouceに由来しているという。その後、マルメロが西洋ナシの台木として利用され、甘果オウトウは酸果

- 15 -

図2 イギリス East MallingのThe Hatton Gardenの人工形整枝樹 上 Espalier (Arches形)に整枝されたリンゴ樹 中 Espalier (Fan形・扇)に整枝されたリンゴ樹 下 Espalier (Horizontal Palmett ・水平パルメット)に整枝されたリ

ンゴ樹