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『使徒行伝』 MFKバイブルキャンプ 2005 ■導入”著者ルカ”: ルカが使徒行伝の著者であるということは、ずっと昔から、教会のなかで伝統として語ら れてきました。そのなかで、興味深いのは、ルカというような有名ではない人が、この書 物を書いたという事が疑いもなく、ずっと言われ続けているということです。そして、こ のルカという人は、新約聖書のなかで一番、たくさんのものを書いています。また、ルカ という書物を見れば、ルカが使徒行伝の著者であることがわかります。そして、この著者 はルカ福音書と使徒行伝を同じ人物、つまり、テオピロに対して書いたという事です。最 後に、一番良くルカと使徒行伝のつながりを表しているのは、それぞれの概略です。それ だけではなく、旅路もつながっているという事が分かります。 ■年代; いつ使徒行伝が書かれたのか?普通に言われているのは、一世紀の終わり頃という事で す。しかし、これは間違っています。ルカは、ルカによる福音書と使徒行伝を大体同じと きに書きました。それは、62年頃だと思われます。なぜなら、パウロがローマで裁判を 待っているという事で使徒行伝が終わりますが、そのあと判決はどうなったのか、書かれ ていないので、62年頃に書かれたものと思われています。もう一つの理由は、AD70 年のエルサレムに対する神様のさばきについて書かれていないという事です。 ・パウロの裁判 ・エルサレムへのさばき ■ルカの年齢: ルカはこの書物を書いたときに若者ではなかったと思われます。もしかしたら、パウロよ りも年をとっていたかもしれません。また、ルカは昔からの教会の伝統のなかで、かなり 長く生きていたという事が言われています。その他に、ルガが62年頃にこの書物を書い たという証拠は、異邦人とユダヤ人の間の問題がAD70年頃にはまったく無くなってい たということからもわかります。 ■誰に対してこの書物を書いたのか?: 宛先の一人目は、テオピロです。この人は、ルカ1章と使徒1章にでてきます。この人 の”テオピロ”という名前は、昔よく使われていた普通の名前です。ここで、この人を閣 下というように呼んでいる事から、この人は、ローマ帝国で働いていた者である、という

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『使徒行伝』MFKバイブルキャンプ 2005

■導入”著者ルカ”:

ルカが使徒行伝の著者であるということは、ずっと昔から、教会のなかで伝統として語られてきました。そのなかで、興味深いのは、ルカというような有名ではない人が、この書物を書いたという事が疑いもなく、ずっと言われ続けているということです。そして、このルカという人は、新約聖書のなかで一番、たくさんのものを書いています。また、ルカという書物を見れば、ルカが使徒行伝の著者であることがわかります。そして、この著者はルカ福音書と使徒行伝を同じ人物、つまり、テオピロに対して書いたという事です。最後に、一番良くルカと使徒行伝のつながりを表しているのは、それぞれの概略です。それだけではなく、旅路もつながっているという事が分かります。

■年代;

いつ使徒行伝が書かれたのか?普通に言われているのは、一世紀の終わり頃という事です。しかし、これは間違っています。ルカは、ルカによる福音書と使徒行伝を大体同じときに書きました。それは、62年頃だと思われます。なぜなら、パウロがローマで裁判を待っているという事で使徒行伝が終わりますが、そのあと判決はどうなったのか、書かれていないので、62年頃に書かれたものと思われています。もう一つの理由は、AD70年のエルサレムに対する神様のさばきについて書かれていないという事です。

・パウロの裁判・エルサレムへのさばき

■ルカの年齢:

ルカはこの書物を書いたときに若者ではなかったと思われます。もしかしたら、パウロよりも年をとっていたかもしれません。また、ルカは昔からの教会の伝統のなかで、かなり長く生きていたという事が言われています。その他に、ルガが62年頃にこの書物を書いたという証拠は、異邦人とユダヤ人の間の問題がAD70年頃にはまったく無くなっていたということからもわかります。

■誰に対してこの書物を書いたのか?:

宛先の一人目は、テオピロです。この人は、ルカ1章と使徒1章にでてきます。この人の”テオピロ”という名前は、昔よく使われていた普通の名前です。ここで、この人を閣下というように呼んでいる事から、この人は、ローマ帝国で働いていた者である、という

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ことがわかります。それと同時に、この使徒行伝という書物は教会に対して書かれた者でもあります。

■使徒行伝の目的:

1.パウロと教会の弁明2.確かな記録3.主イエス・キリストは復活して弟子たちに大宣教命令を与えた4.福音の勝利の原則(私たちへの模範)5.福音の内容

■地理的な概略:

使徒行伝1章8節:ここで主イエス・キリストは、弟子たちに福音についての命令を与えていますが、ここでキリストが地理的に、エルサレム、ユダヤとサマリヤ、そして、全世界に分けている事が分かります。これを通して、使徒行伝の概略を考える事もできます。

ー大まかに分けたものー1:1-11 導入1:12-8:3 エルサレムでの教会の証8:4-12:25 サマリヤ周辺13:1-終わり 全世界への証

ー宣教の前進ー1:1-2:47 教会の誕生3:1-6:7 御言葉の成長6:8-9:31 ユダヤ及びサマリヤへ9:32-12:24 アンテオケへ12:25-16:5 小アジア16:6-19:20 エーゲ海地域19:21-28:31 ローマ

#2章47節でどんどん人々が救われているということが書かれているが、ここで、神様が教会を祝福してくださっている事がわかる。

■概略:

使徒行伝の概略のなかで一番覚えやすいのは、1-12章がペテロ、そして、13-28章がパウロについての話である、という分け方です。そして、この二つの区分の中には対比されていることが多くあります。例えば、ステパノが石打で殺される所、そして、パウ

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ロが石で撃ち殺されそうになる所などです。また、その他にも使徒が逮捕される所や、福音を伝えている所など、つながっているところがたくさんあります。そして、それらのことは明らかに平行したものとして書かれていることがわかります。

■ルカと使徒行伝の平行:

ルカと使徒行伝の平行のなかで、32個の平行は簡単に見つける事ができます。

ー挨拶(テオピロ)ー1.1:1-4 1:1-3

ーバプスマの前の祈り(キリスト、弟子たち)ー2.3:21 1:14、24

ー御霊が形を持って下る(キリスト、弟子たち)ー3.3:22 2:1-13

ー働きが始まり説教をする(キリスト、ペテロ)ー4.4:16-20 2:14-40

ー預言の成就ー5.4:31-8:56 2:41-12:17

ー足なえを癒すー6.5:17-26 3:1-10

ー宗教のリーダーとの戦いー7.5:29-6:11 4:1-8:3

ー百人隊長が助けを求めるー8.7:1-10 10

ーやもめと復活の話ー9.7:11-17 9:36-43

ーパリサイ人たちはキリストを、ペテロを批判するー10.7:36-50 11:1-18

ー???ー11.10:ー12: 13-20

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ー旅の平行ー12.9:51、53 19:21

ー旅についての決心ー13.13:22 21:22

ーエルサレムに行く事を決定するー14.17:11 21:11-12

…その他(裁判『パウロもキリストも4つの裁判にかけられる』、大祭司など)…

■二つの裁判の対比:

キリストとパウロの裁判のなかに、細かく似ている所があります。その一つ目は、2人と三回質問「無罪である」と言われるという事です。そして、次に2人とも裁判のなかで次の、裁判官の元に送られるというところがつながっています。三つ目は、ピラトがキリストを自由にするというところと、ヘロデ王がパウロに彼がが自由になる事もできたのに、と言うところが対比されています。その他にも、人々が「除け」というところや、百人隊長とキリスト、また、パウロの関係、そして、預言の成就などつながっているところはたくさんあります。

■著者ルカの書き方:

ルカは意図的に、ルカ福音書と使徒行伝をつながっているものとして書いた、ということがはっきりわかります。これらの書物の著者である、ルカの書物の書き方についてはたくさんの人が話しています。ある人は、ルカの書き方が旧約聖書からきていると言います。そのほかにも、当時の文学の書き方をしているということも言われています。たとえば、書物の最初の所に、『テオピロ殿…』などの言い方をつけているという事などです。

■ルカと使徒行伝のつながっているところ:

契約の師弟関係は何度も同じように繰り返されています、最初の方で言えば、アブラハムとイサクのストーリーです。そして、一番大切なのは、一番偉大なキリストとその民のストーリ-です。このように、繰り返されているのは、ただ書物の書き方の話ではなく、神様がどのように、歴史を導いてくださっているのか、ということを表しています。

■なぜ神様を歴史を繰り返すものとして計画したのか?:

一つ目の理由は、私たちにおしえを与えてくださるためです。それだけではありません、

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これは証のためでもあります。つまり、二人の証人の証言、そして、契約の真実を表すものでもあります。そこから、マタイとマルコとルカとヨハネは、キリストを証する者であるということが分かります。そして、一番大切なのは、神様が歴史においてご自分をあらわしてくださるということです。神様は、人間をご自分の似姿として創造してくださり、また、披造物によってもご自分を表してくださっています。

■神様は三位一体においてご自分を繰り返す:

ここから、私たちは三位一体についてを考えなければいけません。なぜなら、神様は三位一体において、ご自分を繰り返し表してくださっています。それは、ヘブル1章1節からの所に書かれている通りです。つまり、御父は御子…を表すお方であるということです。これは、御父がご自分を御子によって繰り返しているという事が言えます。それと同じように、御霊は御子を表しています。それは、ヨハネ14章16節からもわかります。また、御霊は御父の繰り返しでもあります。これは、それぞれの位格が、それぞれの繰り返しであるということです。そして、それぞれは契約の関係です。つまり、契約的繰り返しということです。

■『繰り返し』の書き方について:

この、”繰り返しの書き方”ということは、クリスチャンではない人々も、自分の書物を書いたりするときに、使ったりする方法です。その理由の一つは、バベルの時代にあります。なぜなら、ノアがバベルの時代までにできた文明を建て上げたからです。そして、その子孫たちが、ノアが造った文明を曲げてしまい、この世の文明としてしまったということです。つまり、根はノアの造った文明にあるということです。そして、もう一つの理由は、人間が神様の似姿であるためであり、そのために、もし人間がいやであっても、同じような事を必要としているということです。

■キリストの人生とペテロとパウロの人生:

キリストの人生が、ペテロとパウロの人生において繰り返されている所から、私たちはクリスチャンの人生とはなんなのか?ということが分かります。それは、”神のうちにとどまっていると言う者は、自分でもキリストが歩まれたように歩まなければなりません。”という事です(1ヨハネ2章6節)。私たちは、ここから分かるように、信仰のために一度死ななければいけません、そして、私たちはキリストの十字架を背負ってキリストについていかなければいけません。ペテロとパウロの人生を見ると分かるように、彼らはしっかりと、キリストの十字架を背負ってついて行きました。彼らは、仕える人生を送ったという事です。つまり”受けるよりも、与える方が祝福である”ということを、表したのです。それは、三位一体においても表されています。三位一体なる神様は、ご自分を否定して、相手を祝福するという、完全な契約の愛の関係をもっています。

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■はっきりとしない契約の時代(契約が変わりつつある時代):

・ヨシュアの時代・1サムエルの最初の所の時代・バビロンの時代

■新しい時代に入る時のポイント:

旧約時代にも何度か、”契約が変わりつつある時代”があるが、使徒行伝も同じような時代だと言えます。だから、使徒行伝の最初の所で12弟子の一人であった、イスカリオテ・ユダに変わるマッテヤを任命して、新しい時代に入ろうとしています。ここで、特徴的なのは、使徒たちが奇跡を行なっているという事です。ここから、新しい時代が奇跡、印の時代であることがわかります。この、新しい時代に入るときにポイントとなっているのは、御霊が下るという事、威厳を語ったという事、バプテスマ、割礼の問題などです。

■新しい時代での割礼の問題:

このなかのポイントで強調されているのは、割礼の問題です。そして、この問題は使徒行伝のなかで、今と違う考え方があります。それは、パウロがテモテに割礼を受けさせた所です。パウロは、テモテの父がギリシア人であり、母がユダヤ人であったからです。しかし、使徒行伝のなかで出てきた、ユダヤ人と異邦人の区別の問題は終わりました。それは、AD70年の神殿崩壊があったからです。そして、これらの使徒行伝に出てくる割礼についての問題は使徒行伝のなかで、とても大切な大きなポイントです。

■使徒の時代の大切なポイント:

もう一つのポイントは、使徒の時代には使徒がいるということです。これは、使徒の時代には啓示があるということとつながっていますが、この使徒たちは土台を築く者たちです。この使徒たちは、主イエス・キリストの御名における代表としてつかわされた者たちです。そのために、御名によって宣言をするときに、その使徒たちは御霊の特別な力を与えられます。そして、私たちは二次的な代表であるということが言えます。このようなことからも、この時代がオーバーラップしている時代であるということが分かります。

■1章:

弟子たちは最初にキリストに教えを受けたときに、その教えをそんなには理解していませんでした。しかし、彼らは御霊を与えられたときに、それを理解するようになりました。それは、ペテロの発言(主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。)などからも分かる事です。

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□栄光の雲:

ここで、キリストが天に上られたときに、包まれた雲というのは、神様の栄光の雲であり、この栄光の雲は神殿にも現れた雲でもあります。そして、この雲は出エジプトのときに、民イスラエルを導いた雲でもあります。

□新しい弟子”マッテヤ”:

1章の最後の所に、新しい12人目の弟子、マッテヤを選ぶ箇所がありますが、ここで、12弟子が新たにされる事によって、新しいイスラエルを表しています。これは、12人の弟子が、新しいイスラエルの12部族を表しているということです。ここで、誤解してはいけないのは、新しいイスラエルというのが、”前はイスラエルが神様の民であったのに、今は異邦人が神様の民になった”ということではないということです。ということは、契約に入れられた私たちがイスラエル人であるということです。私たちは、神様の民として養子とされたので、イスラエル人です。そして、その養子にされる儀式が、バプテスマです。

■2章:

神の御霊が使徒たちに与えられたときに、”激しい風”、”火”、”音”がありました。これは、出エジプトのときに神様が十戒を与えてくださった時の状態とつながっています。そして、この後で使徒たちに御霊が与えられた時に、使徒たちはそれぞれ奇跡的に複数の国の言葉を話し始めます。これは、バベルの塔のストーリーとつながっています。そのストーリーのなかで、人々はさばきによって他の国々の言葉を話す事になりました。しかし、使徒行伝の2章でこのバベルの塔のさばきは取り消されたという事です。

□国々の言葉はきよめられた:

ここで、使徒たちがいろいろな国の言葉で、神様の栄光を表したという事は、エデンの園の時代(エデンの園は特別にきよくて、そのほかの所は違う)と違って、すべての国々の言葉をきよめられたということです。そして、ここから私たちはみことばを、すべての言葉に訳さなければいけないということが、教えられます。

□ペテロの最初の説教:

ペテロは2章で最初の説教をします。なぜなら、使徒たちが異言を語っているのを見たある人々が、使徒たちをあざけったからです。この説教の最初のところで、ペテロはヨエルの預言を引用しています。これらの預言は、アブラハム契約の成就でもあります。つまり、バベルの塔のさばきは取り除かれたということです。しかし、ある意味では完全に取り除かれた訳ではありません。

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□ペテロの説教の8つの要素:

2章のペテロの説教というのは、キリスト教の最初の説教です。御霊がペテロに与えられて、彼が話した説教で、これから使徒行伝にでてくる福音、そして、パウロの手紙にこれからでてくる事の、基本という事が見られます。そして、この説教は8つの要素を含みます。一つ目は、預言の成就についての話です。というのは、旧約聖書と新約聖書が一貫している一つの書物であるということです。そして、次は十字架の話(2:23)です。これは、福音において不可欠なポイントの一つです。そして、復活、また昇天も大切なポイントです。次は、悔い改めと罪の緩しです。なぜなら、福音は罪の赦しの宣言だからです。また、ここでペテロは直接は言っていませんが、三位一体というポイントも大切です。そして、最後のポイントは福音が異邦人にも与えられているというところです。これらのポイントの多くは、ローマ書1章1節から6節に書かれています。

■ペテロの説教について:

使徒行伝の2章は、使徒行伝全体の土台的な箇所であるということも言えます。その2章には、ペテロの説教があります。そして、そのなかには8つの要素があり、使徒行伝の他の箇所でペテロが説教をしているところでも、この8つの要素はでてきます。ペテロの説教は、2章の次には3章にでてきます。ここで、ペテロは奇跡によって足なえの者を癒します。その後で、ペテロは説教をしました。ここの説教のなかに、2章に出てきたような要素が出てきます。

□3章のペテロの説教:

3章にでてくる2章と似ている要素は、成就について、御霊について、昇天について、命の君(Prince Of Life)について、メサイアについて、国々の救いについてなどです。この説教のなかにはたくさんの似ている要素が出てきますが、2章とは違う表現のし方です。

□4章のペテロの説教:

ペテロの説教は4章にも出てきます。ここで、ペテロは議会に連れて行かれたときに、議会の人々の前で証をしています。この説教(または証)のなかで、ペテロは旧約聖書を引用しています。これは、”成就”の要素です。また、この説教にはキリストの昇天の話も出てきます。

□5章のペテロの説教:

ペテロの説教は5章にも出てきます。このような、ペテロの説教は9回、使徒行伝のなかに出てきます。5章の場合、29節から始まっている短い所です。ここの説教は短いです

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が、そのなかで2章にでてくるいろいろな要素を含んで話しています。

□10章のペテロの説教:

次のペテロの説教は10章にでてきます。この説教は、34節から始まっています。この説教もまた、2章に出てきた要素をたくさん含んでいます。そのなかには、預言の成就、キリストの十字架、復活についてなどの要素があります。ここでペテロが説教のなかで言っているように、私たちは福音を伝えるときに、キリストが十字架で『死んでくださった』ことよりも、『復活された』という事を強調して話さなければいけません。

■メサイアについて:

私たちはメサイアについて具体的に考えるときに、ダニエルの幻を連想しなければいけません。その幻とは、ダニエルが2章の所で見た、金と青銅と鉄と粘土でできた人間の幻です。昔のユダヤ人たち(メサイアが生まれた頃の時代)はメサイアについて、具体的に考えるときに、ここのダニエルの幻を連想していました。ここだけではなく、ダニエル書には他の幻においても、メサイアについて具体的に書かれています。

■福音は”個人の救い”で止まってはいけない:

私たちは福音を個人についての話であると考えてしまう事があります。確かに、個人の救いは福音に含まれていますが、それだけで終わってはいけません。それと同じように、十字架について語るときに、復活を必ず語らなければいけません。また、復活について考えるときに、神様が昇天にして右の座につかれたということを考えなければいけません。このように、私たちは福音を伝えるときに、個人の救いや、個人の心の悩み(使徒を読むときに、救われた事によって心の悩みから救われたというよりも、迫害されたり、家から追い出されたり、町から追い出されたり、殺されそうになったり、殺されたり、もっと心の悩みが増えるとも言える!?)からの救いにとどまるのではなく、神様が天の右の座について全人類を治めてくださっているという事を考えなければいけません。

■メサイアはすべての主であり王である:

メサイアを全人類、全世界の主であり、王であるということを宣言するときに、いつか日本のクリスチャンが本当の意味で福音を知るときに、クリスチャンたちははっきりと大胆に、メサイアが全人類、全世界の主であり、王であるということを宣言するようになります。そのときに、ある人々はクリスチャンをつぶそうとして立ち上がるものたちがでてきます。今の時代の学者で、メサイアが全世界の主であり、王であるということを強調している人はライトさんです。私たちは、メサイアがすべての国々の王である、主であるということを宣言するときに、それは国々に対する挑戦になります。

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■福音の”良いメッセージ”:

そこで、私たちは私たちの王であるメサイアが私たちに命令を与えてくださったということを強調しなければいけません。なぜなら、この世にはただの象徴のような王様がいて、メサイアは決してそのような者ではないからです。このようにして私たちは、パウロが9章で宣言したように、『イエスがキリストである!』ということを宣言する者です。

■私たちがメサイアを十字架につけた:

このようなお方を私たちは十字架につけてしまったのです。ペテロは”あなたたちがメサイアを十字架につけた”という時に、私たちが代々、ユダヤ人たちに対して、”あなたたちがメサイアを十字架につけた”というためではなく、私たちが自分たちの王であり、主であるメサイアを十字架につけたということです。

■説教が心に刺さった後で...:

人々はペテロの説教を聞いたときに、”心に刺さった”ということになっていますが、この言い方は、ステパノに対して怒って”はらわたが煮え返る思い(心をのこぎりで引ききる)”であったというところとつながっています。ペテロの2章の説教では、その思いが悔い改めにつながっていますが、ステパノの時はその思いが、ステパノを殺すということで終わっています。

■最初の教会の状態について:

使徒2章の最後の方に出てくる”使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた”というところは、礼拝とその交わりを表す箇所です。また、これは最初の教会のやり方であった事がわかります。また、その後の所でも最初の教会がどのような状態であったのかということがよくわかります。しかし、この後ですぐに教会への迫害が始まったので、このような教会のやりかたは長くは続かなかったことがわかります。しかし、ここまでのところで、礼拝が彼らの生活の中心であったということがはっきりと見られます。

■アナニヤとサッピラ:

2章の最後の所に、クリスチャンたちの生活について、彼らが物を共有していたというところがでてきますが、4章にもその話が出てきます。それをやっている人のひとりは、バルナバで、彼は自分の畑を売ってそれを献金しました。そのために、人々はバルナバを尊敬したりしていました。それを見たアナニヤとサッピラは、自分たちも人々に尊敬されるために、自分の持ち物を売ったお金を持ってきて献金をしました。しかし、そのときに彼らは聖霊を欺いて、持ち物を売った全部のお金であると言ったにもかかわらず、その一部

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を自分たちのところに残しておきました。もし、彼らが自分たちのところに一部を残しているというならば、それはまったく間違っていません。しかし、彼らは欺いたので神様にさばかれて死にました。

■やもめたちの問題:

弟子たちが増えていった事によって、やもめたちの問題がでてきたということが6章に書かれていますが、それは、エルサレムにやもめたちがたくさん集まってきたからです。なぜなら、やもめの律法があったからです。このやもめの問題とは、彼女たちが”やもめたちが、毎日の配給でなおざりにされていたからである。”ということです。これは、福祉の問題ですが、昔の時代の教会というのは福祉をするということは普通でした。私たちは、教会として福祉をしなければいけません。なぜなら、それは聖書に書かれている教えであるからです。

□やもめたちの問題の解決:

このやもめたちの問題を解決するために、執事たちが任命されました。彼らは、この問題を効率よく解決するために任命されましたが、彼らはただの人々ではなくて、みことばに満ちた人々であった事がわかります。ピリポの場合は、その娘たちも御言葉を教えるものたちでした。このやもめたちの問題からも、当時の教会がどのようなものであったかがよくわかります。

■パウロとたくさんの迫害について;

いろいろな迫害がありますが、その多くの迫害はリーダーたちに対するものです。迫害者であったパウロ(サウロ)は、8章の所で家から家へと迫害していきましたが、後には反対に自分が迫害されて、死にそうになることになりました。どのように変わったかという理由の一つは、人々へのステパノへの迫害であるという事も言えます。このパウロは後の所で、「私たちが神の国にはいるには、多くの苦しみを経なければならない。」と言いました。

■日本の最初のクリスチャンたち:

日本の最初のクリスチャンたちは、迫害されたときに残念な事にいなくなってしまいましたが、それは、御言葉がなかったという所に問題がありました。なぜなら、日本に福音を述べ伝えにきたクリスチャンたちはカトリックであったために、彼らは御言葉を日本語に訳す事をしていなかったので、日本のクリスチャンたちは御言葉に飢えて死んでしまいました。ですから、もしその当時の日本人たちが御言葉を持っていたならば、状態は違っていたと思われます。

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■コルネリオという人はどのような人か?:

10章に出てくるコルネリオという人は、割礼をうけていたという訳ではなかったけれども、神様を信じて、神様を恐れている者でした(彼は敬虔な人で、全家族と共に神を恐れかしこみ...)。コルネリオは、神様の御使いによってペテロを招くことを命令されます。そこで、彼は人々をシモンの家にいるペテロの所に使わして、自分の所に招きました。このストーリーで、神様はユダヤ人の習慣が間違っている事も教えてくださっています。

■汚れているという意味:

ペテロは10章の幻で、汚れたグループの動物を食べなさいと、神様に言われたときに、それらの動物は汚れているので食べてはいけない、と言うと神様はペテロにそのようなことを考える事によって、きよいものをけがしてはいけない、と言っています。なぜなら、キリストが十字架においてすべてをきよめてくださったのに、それらを汚れていると言うならば、キリストの十字架を否定する事になってしまいます。ここで、神様はペテロに十字架の意味をもっと教えています。

■ユダヤ人たちの特別なおきて:

ここでペテロが、『ユダヤ人が外国人の仲間に入ったり、訪問したりするのは、律法にかなわないことです。』と言ったのは、”律法”の話ではなくて、ユダヤ人の特別なおきて、また、伝統のことを差しています。このユダヤ人たちの特別なおきてとは、ユダヤ人たちが律法を守るために、付け加えたおしえのようなものです。

■コルネリオとペテロに対する神様の導き:

コルネリオはペテロに、なぜ彼を招いたのかということを説明するときに、神様の導き、御霊の働きによって招いたという事を言います。この神様の特別な導きというのは、この時にコルネリオだけでなく、ペテロにも与えてくださいました。このような導きによってペテロのもとにきたコルネリオは、神様の導きについて証しました。また、ここでペテロは2章でしたような説教を、異邦人に対してしています。そして、その時にペテロはコルネリオに対してユダヤ人に対して話すような感じで話しています。

■コルネリオの理解力:

ここで、コルネリオという人は、なぜペテロがユダヤ人に対してするような話を理解しているかというと、彼は普通の異邦人のように何もしらない者ではなく、ユダヤ人たちのシナゴーグで異邦人たちがはいれるところで、キリストについてなど聞いた事がある者であったからです。このペテロの説教を聞いた後で、その話を聞いていた人々の上に御霊が

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下ったので、ペテロは彼らにバプテスマを授けました。

■異邦人たちに御霊が与えられる:

ペテロと一緒にいた人々は、異邦人たちが救われて御霊が与えられたときに、彼らのバプテスマを授けるということは考えていなかったようです。しかし、ペテロは御霊の働きによって彼らにバプテスマを授けました。このストーリーのなかで御霊の働きはここだけではなく、ストーリー全体に何度も御霊の働きが強調されている所がわかります。神様は御霊の働きによって、ペテロたちに異邦人とユダヤ人の区別は無いという事を表してくださいました。

■ユダヤ人と異邦人の対立:

11章にはいると、ユダヤ人たちがペテロに対して、なぜ異邦人たち(無割礼の者たち)と共に食事をしたのか、と言って責めました。なぜなら、この出来事はユダヤ人たち(割礼を受けた者)の考えていたものとまったく違っていたからです。ここで興味深いのは、ユダヤ人たちがペテロに対してここまで非難をしたということです。ペテロは使徒であるからといって黙って従うという考え方は、彼らのなかに無かったようです。この問題のなかでペテロの考えに対してユダヤ人たちは理解したようですが、同じような問題は後でまたでてくることになります。そして、これらの問題からどんなに異邦人とユダヤ人の壁が大きいのかがよくわかります。

■御霊の導きによって始まった異邦人に対する伝道:

ペテロの異邦人に対する働きというのは、御霊の導きによって始まったものであることが13章のところではっきりと分かります。この異邦人に対する伝導というのは、神様のご計画であり、御霊の導きによって成し遂げられたものある事を、神様は表してくださいました。この話の後で、サウロは正式に『パウロ』として働き始めます。そのときに、バルナバも一緒にパウロと共に行く事になります。

■異邦人とユダヤ人の問題について:

14章からのところでも分かるように、異邦人とユダヤ人の問題は終わっていません。なぜなら、キリストを信じて割礼を受けた者たちのなかで、無割礼の異邦人たちをどうしても受け入れられない人々がいたからです。彼らは、旧約時代と新約時代についてのパウロの考え方が間違っていると思っていました。この問題は、ガラテヤ人への手紙のなかで中心的な問題の一つです。そして、これらは教理のレベルの問題としてなんども取り扱われています。なぜなら、あるユダヤ人たちが旧約時代に戻ろうとしているからです(キリストの十字架から15、20年位経っている)。彼らは、モーセの律法に従って歩まなければ救われないという誘惑に負けています。そして、これと同じ話は黙示録のなかのバビロ

Page 14: 『使徒行伝』 - MIWAZA JEMIMAHmiwaza.com/archives2/Book of Acts.pdf使徒行伝の概略のなかで一番覚えやすいのは、1-12章がペテロ、そして、13-28 章がパウロについての話である、という分け方です。

ンの話においてもでてくることです。それだけではなく、新約聖書全体で取り扱われている問題でもあります。

■アブラハム契約の成就:

ここで、異邦人とユダヤ人の区別が無くなったという事は、アブラハム契約が成就されたという事であり、神様の御国が始まったという事になりました。ここで、割礼を受けるというのは、キリストが代表で受けたという事であり、十字架のことを差していることです。そのために、エルサレムの定義も変わりました。そして、エルサレムは天にあるということに変わったのです。このようにして、主の民であるイスラエルに与えられた契約は、キリストによって成就されたのであります。しかし、ある人々は契約は成就されていなくて、その成就は未来にあると言います。

■異邦人の救いの影響:

ある人々は、ユダヤから下ってきて、アンテオケの教会で”割礼を受けなければ救われない”と言って教えたので、非常の大きな問題となり。パウロでさえも解決できないような問題となりました。そして、パウロとバルナバはこの問題について、激しく対立してディベートをしました。そのために、パウロとバルナバはエルサレムに行く事になります。そして、彼らがエルサレムまでに行く途中の道で、異邦人の救いを聞いたユダヤ人たちは、非常に喜びました。しかし、彼らがエルサレムまで来ると、パリサイ派の信者たちは非常に反対しました。このディベートのなかで、パウロは二次的な存在であったということが、12節の”バルナバとパウロ”という呼び方の順番からもわかります。